2008年09月22日(月)
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はじめて気づいたこと
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この年になって、とても照れくさいことだけれど、きょう、はじめて気づいた(と、自分で感じた)ことがある。
私は、子どものころからかなり丈夫な体質だった。大人になってもそうだ。よく食べるせいか、かぜをひいても重くならないし、肩こりもなければ、腹痛や頭痛で寝込んだことも、たぶん今までに5回くらいしかない。 もちろん、欠点をあげればきりがないけれど、減点主義じゃなくて、加点主義で自分を判断するとすれば、体が元気だから、気持ちも元気…、負けてもへこたれないぞ…落ち込んでもすぐ立ち直るぞ…! そんなへんな自信だけはなぜかいつも持っていたような気がする。 それは、結婚してもずっと変わらず、そうだった。
で、その自分が「日々、かなり元気で前向き」なわけ…というのを、あまり考えたことがなく、ただその「元気で前向き」を自慢のたねにしてきたのだけれど、その『前向きのもと』をくれたのは、とくに、この25年間それをくれたのは、実は、身近にいる、自称『前向じゃない人』なのだと気がついたのだ。 なぜ今日そう気がついたのかはわからない…けれど、考えてみれば、25歳で結婚し、今年50歳。学生時代にひとり暮らしをしたことをひくと、親と暮らした年数よりも、他人のKと暮らした年数の方が長くなってしまったということにも、きょう気がついた。
いったいきょうは何の日だ?
で、その他人であるところの人Kは、他人に言えば「恥ずかしげもなくばかじゃないの?」いや、私でさえ「お願いだから面とむかって言うな〜」というような感謝のセリフをいつも言ってくれてきた。 Kのその言葉と、彼への私の反応は娘の前でも繰り返され、結果的に、今でも娘が口にするセリフ「なにしろ、パパは、ママのことが大好きだからね!」という言葉に集約されていると思う。
本気にしろ、そうでないにしろ?、娘にそう思わせたKのテクニックは、たいしたものだ。おしゃかさまの手の上…などというほど、大きくてオーバーなものじゃないけれど、私はKの手の上で「お母さんが元気で前向きではげましてくれないと、家族みんなも元気でいられないよ」と勝手に思わされてきたのだ。たぶん、それはこれからもそうだろうな…。
う〜ん、もう、この先はやめておこう。
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