TOP

Log19

2008年09月22日(月)
はじめて気づいたこと
この年になって、とても照れくさいことだけれど、きょう、はじめて気づいた(と、自分で感じた)ことがある。

私は、子どものころからかなり丈夫な体質だった。大人になってもそうだ。よく食べるせいか、かぜをひいても重くならないし、肩こりもなければ、腹痛や頭痛で寝込んだことも、たぶん今までに5回くらいしかない。
もちろん、欠点をあげればきりがないけれど、減点主義じゃなくて、加点主義で自分を判断するとすれば、体が元気だから、気持ちも元気…、負けてもへこたれないぞ…落ち込んでもすぐ立ち直るぞ…! そんなへんな自信だけはなぜかいつも持っていたような気がする。
それは、結婚してもずっと変わらず、そうだった。

で、その自分が「日々、かなり元気で前向き」なわけ…というのを、あまり考えたことがなく、ただその「元気で前向き」を自慢のたねにしてきたのだけれど、その『前向きのもと』をくれたのは、とくに、この25年間それをくれたのは、実は、身近にいる、自称『前向じゃない人』なのだと気がついたのだ。
なぜ今日そう気がついたのかはわからない…けれど、考えてみれば、25歳で結婚し、今年50歳。学生時代にひとり暮らしをしたことをひくと、親と暮らした年数よりも、他人のKと暮らした年数の方が長くなってしまったということにも、きょう気がついた。

いったいきょうは何の日だ?

で、その他人であるところの人Kは、他人に言えば「恥ずかしげもなくばかじゃないの?」いや、私でさえ「お願いだから面とむかって言うな〜」というような感謝のセリフをいつも言ってくれてきた。
Kのその言葉と、彼への私の反応は娘の前でも繰り返され、結果的に、今でも娘が口にするセリフ「なにしろ、パパは、ママのことが大好きだからね!」という言葉に集約されていると思う。

本気にしろ、そうでないにしろ?、娘にそう思わせたKのテクニックは、たいしたものだ。おしゃかさまの手の上…などというほど、大きくてオーバーなものじゃないけれど、私はKの手の上で「お母さんが元気で前向きではげましてくれないと、家族みんなも元気でいられないよ」と勝手に思わされてきたのだ。たぶん、それはこれからもそうだろうな…。

う〜ん、もう、この先はやめておこう。






2008年09月07日(日)
おもしろい!
原田ひ香さんの作品、第31回すばる文学賞受賞作『はじまらないテイータイム』(集英社)を読んだ。

とにかく、おもしろくて! いっきに読んでしまった。

主人公たちは、30代で子どものいない主婦・奈都子とその母ミツエ、奈津子のいとこ(ミツエの甥)博昭の前妻・佐智子、そして新妻・里美。

博昭の離婚、再婚を通して、赤の他人である女たちが絡み合い、相手の態度に嫌悪感をいだきながらも、人間の本質を垣間見てしまう流れ、思わず自分の本音をぶつけてしまったことにより、自分自身も相手をも、ただ拒絶するのではなく、「わかるよ、あなたのこと…」という気持ちが生まれる。

他人の家にしのびこむという、予想外な行動をする佐智子、それを偶然目撃してしまうミツエのその後の対応がなんともいえず、理不尽なようでいて憎めず…、物語を非日常の世界に仕立て上げている。

原田さんにお目にかかったことはないけれど、前回の日記に書いたように、ひょんな繋がりのある作家さん。すばる文学賞からはすばらしい作家が生まれているし、評価も高く、これからの活躍がとても楽しみです!



2008年09月01日(月)
同窓会
毎年、ほぼ8月の最後の週末が恒例となっている大学の同窓会…がおととい終わり、「あ〜、これで夏も終わってしまった…」という切ない気分になっている。
クラス会を、卒業以来25年いじょうも毎年開いているなんて、たぶんかなりめずらしいことなのだろうし、教授や助教授でいらした先生方が、参加してくださるというのも、いつもありがたいと思うのだ。
でも、さすがに、お世話になった恩師の先生方もほとんど退官され、昨年末には、よく(学内の…)部屋におしかけてお酒をごちそうになったO先生も他界されてしまった。

今年は、仲間は10人、先生の出席は、今も名誉教授でいらっしゃるH先生おひとりだったのだが、先生を囲み、おおいに盛り上がった。今頃になって、日本の個人住宅にはじめてバリアフリーを取り入れたのがH先生の研究だったことを知ってびっくりした。
またなんと、先生のお嬢さんが昨年のすばる文学賞を受賞された新進気鋭の小説家Hさんであることもうかがい、またまた盛り上がってしまった。
まだ、読ませていただいていないのだが、ネットの書評はとてもすばらしく、雑誌やラジオのインタビューに答えている先生のお嬢さんが、とても美人! なのにもびっくりした。

もはや、プロの作家さんなのだから、お名前を書いてもよいのかな? とも思うが、今回はひかえさせていただいて、作品をさっそく読ませていただき、その後、書かせていただこうと思う。

現役で働いている友人も多く、楽しくも刺激をいっぱいもらえる…、やっぱり同級生っていいな…とおもえた一日だった。



2008年08月17日(日)
お墓参りとルーツ
今年も、連夜オリンピック観戦で寝不足の中、毎年恒例のお盆の行事(お墓参り&親戚が集まっての宴会…)が済んだ。
やれやれ〜…、なんと面倒な行事なのだろうと思う反面…、自分のルーツを知ったり、子ども時代をおもいだしたりするきっかけになるという良い面も認めざるをえない。

子どものころ、お墓参りは楽しみだった。特に、母方の実家は九十九里の海に近いところにあり、夏休みになると、すぐに泊まりにでかけたものだ。蛍が乱舞するたんぼ道を、リュックを背中に、祖父母の家に向かう夜は今思えば夢のように幻想的だった。
毎日毎日、スイカを山ほどたべ、(庭に放りなげたスイカの皮に、翌朝かならず、カブトムシがくっついていた)少し年上のいとこたちと、川でつりをし、(うなぎやフナやコイがとれたものだった)自転車にのせてもらい、海まで泳ぎに行った。母が迎えにくるお盆のころは、いつも日に焼けて真っ黒だった。

お墓にいくと、ご先祖さまたちのお墓がいくつかならんでいるのだが、ウチで一番古いお墓…というのが、あの忠臣蔵討ち入りの前年の元禄13年のもので、そのお墓は新しいものに比べるとだいぶ小さかったが、なぜだか不思議な気分がした。母方の家は比較的大きな農家で、ご先祖様からの言い伝えがある。母の話しによると…
『おばあさんのひいおばあさんくらいにあたる人は、たいそうなしゃれ者で、いつでも金のかんざしをつけていたそうだ。ある晩のこと、家に泥棒が忍び込んだのに気づいたそのひいひい…おばあさんは、なんと泥棒にさらわれて…近くの川に投げ込まれてしまった。家の者たちも気がついて泥棒のあとを追いかけたが、おばあさんの姿がどうしてもみつからない…。そのとき、月夜に照らされて、川の中でキラリと光るものがあった…。それは、そのひいひい…おばあさんの髪にささった金のかんざしだったのだ。おかげで、ひいひい…おばあさんは命拾いをしたんだそうな…。』

その後、明治時代にカイコを飼って事業に成功した私のひいおじいさんは、奥さんに先立たれたあと、(もう、よその奥さんになっていた)じぶんの初恋の人を、後妻さんとして取り戻すことができた。そのひいおばあさんは、私が中学生の頃まで元気だったのだが、そのはなしにたがわぬ超美人だった。(ひいおばあさんと、血がつながっていないのが残念…)
その後、冷夏でカイコを全滅させてしまったひいおじいさんは、財産をかなり減らしてしまったしまったそうだが、なんとか…その後も、困らずに暮らしていた。

父方のご先祖さまは商人で、きゅうたまる(字は不明)という船で、江戸に荷物をはこんでいたそうだ。ところが、私のおじいさんが子どものときに(江戸末期)に、その船がシケで沈んでしまい…、おじいさんの兄ふたりが死んでしまった。で、おじいさんが跡取りになったわけなのだが…、船がなくなってしまったその後どうしたかはわからないが…、私が子どものころ、おじいさんは駄菓子やを営んでいた。

夫方のお墓の一番古いのは、寛政13年(1801年)のもので、こちらも、教科書に松平定信の『寛政の改革』として出てくる時代なので、200年以上前のものだ。その人がどういう人だったのか…残念ながら、夫も義父も知らないというのが残念なのだが…、娘にとってはこちらもルーツになるわけで…、目でみえる証拠として古いお墓がのこっているのは、ありがたいことだと思うのだ。

明日から、また夏期講習後半…夏休み飛び込みの生徒さんもふえ、前半よりもハードな日々になりそう…。頑張らねば!




2008年08月12日(火)
タスマニアンデビル
娘のドレミが持ち帰った、オーストラリアの写真をプリントした。その中で、なんとも愛らしい動物をみつけた。
コアラやカンガルーほど有名ではないけれど、肉食の有袋類であり、ギャーギャーいう鳴き声がとても独特でそこからデビルという名前がついたそうなのだが、やはり絶滅危惧種なのだそうだ。
お盆を前に…、オリンピックに盛り上がる一方で民族問題を抱える中国のこと、自分や家族の将来…だけでなく、まじめに地球の将来も考えなければ…と思った。でも、やはり午後にはエアコンをスイッチを入れてしまった…。


2008年08月11日(月)
夏休みも、半分過ぎ…
夏休みも、あっというまに半分が過ぎた…。速いな〜。子供のときと全く同じように、夏休みはいつもいつも駆け足で私のまえを通り過ぎていく。

先週末、娘のドレミが無事に帰国した。でも飛行機が3時間以上も遅れて、成田空港が閉まる夜11じ直前の到着だった。近くのホテルで夫とふたりで夕食をすませ、10頃に空港に行った。ためしに出発ロビーに行ってみたら、もちろん店も航空会社のカウンターも全て閉まっていて、ガラーンとしたフロアにいるのは、おそうじのオバサンと警備員さんだけだった。あんなに人のいない空港というのも、初体験で、ある意味おもしろかった。

ドレミ本人は元気いっぱいで、しっかり太ってかえってきた。オーストラリアのホストマザーは、とてもお料理がじょうずだったらしく、まいにちおいしいものを食べ、ランチにはサンドイッチをつくってもらい、『フットボールの試合』やら、ショッピングやら、映画やら、とにかくいろいろなところに連れて行ってもらったとのこと、全く感謝してもしきれない…頭がさがるばかりだ。

私は、今年の夏は遠出の予定はないのだが、土曜日には、声楽家の友人Yさんののサマーコンサートに行った。Yさんは(ドレミの幼稚園時代の)お母さん仲間なのだが、音大を出て音楽の教師をされていた傍ら、コンサートなども活発に開いてきた方で、今までにも何度か、コンサートにはいかせていただいているのだが、今回はオペラの中の歌が多く…本当にすばらしかった。
**歳の記念で開かれたとのことだったが、その**歳(実は私と同じ年)とは思えない容姿の美しさにも驚き、以前より声にも張りも美しさも増したようにも思えて、同じ年の彼女が頑張っていることにほんとうに感銘を受けた。ピアノのIさんも同じくお母さん仲間なのだが、すばらしい演奏だった。





2008年08月02(土)
夏休み
娘のドレミがオーストラリアへ行って、あっという間に2週間がすぎた。もっと寂しいかと思いきや、バタバタと日々忙しくて寂しがっている余裕がなかった。あと、1週間で帰ってきてしまうのか…と思うと、待ち遠しいより、もっと長く行ってくれていてもOKだったな…という気分だ。

先週日曜日は、市原市の主催のスケッチ大会で、炎天下で子どもたちとスケッチをし、その夜は、義母がお世話になっている施設の盆おどりだったので、そちらへ。

平日の夕方は、まいにち夏期講習がはいっている。は〜、疲れた…の毎日だったが、きのうは、久々にフリーな気分だった。午後、神楽坂で会報の集まりがあり、夜は暑気払いの宴。神楽坂に詳しいSさんが探してくれたお店「花かぐら」で盛り上がった。
和食&飲み放題で5000円というリーズナブルなお値段で、お料理もおいしく大満足だった。
いままで、いっしょに部の仕事をやらせていただいたYさんの送別と、新しくメンバーになられたお二人の歓迎の会でもあったのだが、ちらり感傷的になったものの、いつものように盛り上げてくれる仲間がいて、楽しかった。

それと、以外にも、部のメンバーのかたも、このHPを見に来てくれることがわかり、とてもうれしかった。ありがとうございます。
もっと写真など取り込んで、楽しいサイトにしようと思った。


2008年07月22日(火)
楷の木
6月下旬のこと、大学時代の友人Mさんと、お茶の水界隈を散策し、湯島聖堂の庭で『楷の木』をはじめて見た。

しなった枝などひとつもなく、どの枝も整然と直線で繋がって、空に向かって手をひろげている。この木の枝振りから『楷書』という言葉ができたのだそうだ。
もともと私は木には詳しくないけれど、このあと、何人かの人に話をしても、『楷の木』を知っている人はいなかった。
なので、やはりめずらしい木なのだろうと、ネットで調べてみると、次のような情報がみつかった。

楷(かい)の木・・・うるし科の落葉樹(学名トネリバハゼノキ)

 大正4年(1915年)、農商務省林業試験場の初代場長であった白沢保美博士が中国・曲阜の孔子墓所から「楷の木」の種を採取し、当時の農商務省林業試験場で育苗しました。その後、日本国内の孔子や儒学にゆかりのある学校(湯島聖堂3本(雄)、足利学校1本、閑谷学校2本(雌)、多久聖廟1本(雄)など)に配られました。
 孔子にちなんで、閑谷学校では、「楷の木」を『学問の木』と呼ぶようになりました。


また、牧野富太郎氏が和名を『孔子木』と名づけたそうで、学問にとても関係が深い木なのは確かだ。次回は娘をつれて、受験のお願いにでも行こうとおもう。

ついでに、神田明神、ニコライ堂もゆっくり見学し、神楽坂の裏通りも散策し、とても楽しい一日だった。
でも、一番の目的地だった、靖国神社の遊就館がよりによって臨時休館だったのは、さそった私の調べ不足で、Mさんに申し訳ないことをしてしまった。ごめんね〜。

いろいろ書こう書こうと思いながら、私は、余裕がないとここの日記は書き込めないたちなので、ずいぶん日がたってしまった。ここ2、3日、進んで書き込めるのは、やはり、合宿が終わり、原稿をよまなくちゃ! という切羽詰った心理状態からはぬけ出たのだろう。

さて今夜からは夏期講習がスタート!
夏ばてしないように頑張らねば…。
みなさまも、どうぞ良い夏休みをお過ごしください。




2008年07月21日(月)
ハードな日々(パート3)
土曜日の午後の、「ふろむ」の合評会のことを少し…。
ふだんは、メンバーだけでやっている合評会だが、年に1~2回は、作家の先生方、編集者の方に講師ゲストとして来ていただき、合評会をします。
今回は児童文学の評論研究をされているOさんに来ていただきました。Oさんは、高校の教員をされている傍ら、評論も研究もされ、児童文学の専門書店を開かれる予定もあるとのこと。ハスキーボイスで小柄だけれど、とても素敵な方でした。そしてまた、書いている自分たちでは気づかない的確な指摘もいただき、大変よい勉強になりました。
また、見学ゲストとして、中学図書室勤務のAさん、創作をされているYさんもいらっしゃいました。
どうも、ありがとうございました。



2008年07月20日(日)
ハードな日々(パート2)
たぶん、ことし一番忙しかった1ヶ月が過ぎた。

昨日おとといの鎌倉合宿は、本当にしんどかったけれど、充実した2日間だった。
「たいした意見はいえないけれど、とにかく読まねば…」と必死で読ませてもらった。みなさん力作長編ばかりで、さすがに疲れた…が、読んでいて楽しいのはもちろん、とても良い勉強になった。
一泊2日の間に、作品や、それについての皆さんの意見をきくこと、そして雑談を通してまでも、とてもいろいろなことを考えさせられる。

今回、特に思ったのは…人それぞれに与えられた境遇って、やはり必然なのではないかな…ということだった。
「離婚が必ずしもこどもにとって悪いこととはかぎらない」「親や子、家族がいるいないで幸せははかれない」。また「誰も見ていなかったら赤信号でも渡ってしまうかどうか…」とか「自分の親の介護を子どもにまで協力させるべきかどうか…」というような話題もあった。

もちろん無知な私にとっては、文学論は大いに興味深いところだけれど、合宿は人の生き方を考える機会にもなる…。

私自身について言えば、「人情と正義と義務感」をなにより大切にしている義父や、「無欲に生きる」ことが人生哲学だったであろう父がいなかったら…、そしてそのふたりが、病気の義母や母を支えていてくれる姿を見ていなかったら…、絶対に母たちの重さに耐えられないだろうと思う。
そして、娘がいなかったら、赤信号だって無視しちゃうかもかもしれないし、年老いていく自分の親たちのに接する態度も今とは、だいぶ違うものになっているような気がする。誰かが、自分よりがんばっている姿をみて、誰かが自分の後ろ姿をみていることがわかっているから、最低限、恥じないようにしようと思えるのだ。
いくらそう思っていても、恥知らずや恩知らずなことをしてしまったと思うことは、たくさんある…けれど。

娘がいてくれて、親が長生きをしてくれて、絵や児童文学にであって、良い仲間がいてくれて…(&夫がいてくれて)とにもかくにも、それはみな必然なのだろうし、今のところ、人生悪くないと思っている…。そんなこともしみじみ思った2日間だった。

かなりへとへとだけれど、今日は夫の実家に話しがあると呼ばれ…、明日は私の実家へ行く予定(というか、行かねばならない!)。でも、我慢しないで、へとへとだ〜とこういうところへ書くと逆に元気がでてくるから不思議だ。

ちなみに、2週間ほど前、目が疲れるし、あまりに体が重いいから、医者へ行って血液検査などをしたけれど結局なんともなかった。ただの老化現象に、自分の意識がついていけなかったのだ。やれやれ…。


 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
[TOP]
shiromuku(hu1)DIARY version 3.04