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2007年05月28日(月)
知り合いの輪
とつぜん、知り合いの輪がひろがった。
いつもお世話になっているルビーさんのサイトがご縁で、うらぴょんさんのサイト
http://www005.upp.so-net.ne.jp/urapyon/
にうかがったら、活気あるメンバーの方々が、次々にメッセージをくれ、ここにも遊びに来てくれたのだ。

風馬さん
http://www5f.biglobe.ne.jp/~huma_bluesky/
あちさん
http://www010.upp.so-net.ne.jp/achi/
どうもありがとうございます!
BBSでは、英字の書き込みができず(いくつかの漢字もエラーになるらしいのですが…原因不明で…)すみません。とても活気あるサイトから刺激をたくさんいただきました。

児童文学を志す人たちの、その反応の熱く速いこと!
またまた、なにか変わらねば…と思う今日…。




2007年05月27日(日)
あたってくだけた
真夏日の中、テニスの試合をした。
予想どおり、あたってくだけた半日だった。それも、あまりに簡単に…。
ラッキーでここまできたんだし、楽しんだのだからいいや…と思う一方で、考えた。
「何事も、ず〜っとこうやって、生きてきてしまったなあ…」と。「無理をせず、深刻に考えず、元気で、そこそこ充実していれば幸せだ…」と。

なにか、少し変わりたい…と、いつになく、思った半日でもあった。


2007年05月26日(土)
集中力と継続力
明日は、テニスの団体戦の試合だ。
何年ぶりかで、ベスト8に残っている。
なんでこんなことを書いているかというと、たかだた市の大会でも、団体戦で、勝ち残るのはとても難しいのだ。なにしろ、日程が4〜6月ごろまで、長期にわたるため、メンバー全員が、週末に暇でなければならない。
運よく勝ち残っても、4人そろわなければ、不戦敗…ということになってしまうのだ。

な〜んて、えらそうなことを言ったが、それよりなにより、私の所属しているチームのメンバーは、みなウイークエンドプレーヤーなので、ここまできたのは奇跡で、明日はボロボロだろう…という予測が容易にできる。
まして、このごろは皆、親の介護やら、子どもの進学やら、孫の出産やら…、忙しく、全員が顔をそろえたのは、1年ぶりだった。
それでも「去年は1回戦負けだったねえ…。ことしはなんとか粘ろう!」などと、年甲斐もなく盛り上がってここまできた。
明日も日焼けに注意してがんばろう!

娘に、ママはいったいホントは何がしたいの?
といつも言われている。(これじゃ、親子さかさまだ!)
テニスをし、絵を描き、創作をし、バイトをし…、なにかひとつに絞って、(人生を賭けて…とまではいかなくても)、エネルギーをひとつに注ぐことができない。

今朝、桐野夏生が、自作「メタボラ」について語っていて、若者に「夢をもて、夢をもて! といわれても、それがどんなに難しいことか…」、自分も30才小説に応募するまで転々と職を変え、暗い日々をおくっていたとのことだった。

それで、30才を過ぎて自分の道がみつかればラッキーだけれど、そうでない人の方が多いのだろうな。
「人間死ぬまで自分探し…」って、だれの言葉だったか忘れてしまったが、そういうことなのだろう。
蛇足だが、娘の高校の入学説明会で、副校長が
「なぜ勉強しなくっちゃいけないかって? あたりまえですよ。勉強しなくちゃいけないのは、子どもだけじゃないんですよ。大人になったって人間一生何かを勉強しなくっちゃいけないんだから…」というようなことを言っておられた。娘とふたり、妙に納得してしまった言葉だった。

あれ、集中力と継続力について書くつもりだったのに、どんどん話がそれてしまった。
あ〜、これこそ、集中力のない証拠だ…。


2007年05月25日(金)
シンポジウム
もう先週末のことだが、児文協の付設研究会(シンポジウム)に、参加した。
協会に入会してから、シンポジウムだけは、毎年参加しているが、今までで、一番すばらしいものだった。
協会の新会長になられた、那須正幹さんのおはなしは、いつものことながら、とにかくおもしろい。自作「ねんどの神様」は、わざと後味のわるさをねらったものであること、当初は、実験的に同人誌に載せた作品だったのを、ポプラ社でだしてくれたことなど話された。
その那須さんが昔所属していた同人誌のメンバーだった、Mさんという女性の方、「那須さんからは、ただの一度も本をもらったことはなく、ちゃんと買って読んでいるので、意見だって、いくらでもいいたいことが言えますよ!」なんて前置きで、でもさりげなく、那須さんの時代を先取りした先見の明を、意見コーナーで巧みにほめていた。

北海道からきたKさんが、「これは、たんなる愚痴ですが」といいながら、北海道弁もまじえながら、戦争児童文学に応募したことなどを語られ、おもしろい方がたくさんいるもんだと、感動だった。

なにより、児童文学作家でもあり、海外の戦争児童文学を本にまとめられた、佐々木さんの、すばらしい勉強力には脱帽だった。
読んだ本の作者や内容の記憶力もさることながら、歯切れがよく聴く人をあきさせない口調、情報の伝達力に、ただただ圧倒された。
52歳ではじめてイギリスに行ったときは、ろくに英語がわからなかったのに、それからいくたびに、原書を何十冊も買い込んできて読み、それを紹介したのが、「児童文学に見る平和の風景」という本だそうだ。
ものすごいエネルギー。

頑張らねば〜という刺激をいっぱいもらってかえってきた。



2007年05月12日(土)
失われた時間
ここ数日、ずっとある捜しものをしている。
絶対に家の中にあるはずなのだが、見つからない。
気になってしかたがないので、毎日2時間くらいは家中あちこちひっくりかえしてみるのだが、見つからない…。疲れ果てて翌日に憂いを持ち越している。
あ〜、たぶんここ一週間、これだけで、15時間ほども、時間を無駄に浪費して、いや、失ってしまったのだ…と、悲しくなる。

先日、電車の定期券を忘れた娘が、切符をかって学校へ往復したものの、あとから「損した〜。あの日の分で、学食でランチが2回食べられたのに…」と、連日ぼやいているが、それと似ている感覚だ。

眠るのも、テレビをみるのも、ぼんやりするのも…それは自分が納得してのことだから、たとえそれが身にならなくても、さほどの喪失感はないが、無くした物を捜している時間ほど空しいときはない。
「この家中をうろうろ歩き回っている時間の分で、本が2冊はよめたし、映画なら、3〜4本見られたのに…!」
そう…、私は、年がら年中なにかを無くし、年がら年中それを捜し回っている。
鍵、返信ハガキ、印鑑、書きかけの手紙、手帳…。
「ちゃんと整理整頓しとかないからでしょ!」と子どもにしかるのが、普通の母親だろうが、ウチの場合、「おこづかいあげるから、一緒のさがしてくれない?」と、子どもにたのみこむ始末。これじゃあ、親の威厳のカケラもない…。
あ〜、それにしても、あれ…、どこへ行ったのかな…。

ところで、みなさんGWは有意義に楽しくすごされましたか? ウチは遠出はしませんでしたので、唯一のお楽しみは、映画『スパイダーマン』をみたことくらい。
『スパイダーマン』は、何も考えなくていい娯楽作品で、GWにはぴったりでした。



2007年04月22日(日)
続・鈍感力
前回、『鈍感力』について、書いた。褒められたらどんどん図にのって「わたしはキレイ!」だとか「わたしはほんとに才能がある!」と、思えばいい…のだそうだが、正直…、そこまでずうずうしく思い込む勇気はない。
でも、常に思っていることは、「わたしは元気!」。
これだけでも鈍感力の素質は十分持ち合わせている? とおもうので、これからも大事にしていきたい。

このごろ、知り合い(面識のある方々)が次々に本を出版し、それもとても読み応えのあるすばらしい作品がつづいているのだが、あえて紹介していない。
なにしろ…、まったく面識のない渡辺淳一だからこそ、呼び捨てにもできるし、児童文学作家でも、あさのあつこや、上橋菜穂子なんかも、講演会を聞いたことはあるが、対等に会話などしたことがないので、むしろ堂々と「読んだぞ!」と、宣言できる。

それが、友人であれ、先生であれ…もしくは数回でも親しくおしゃべりをさせていただいた方々だと、状況がちがうのだ。
私がここで勝手にタイトルや作家名をだして批評なんてしてしまう (たとえそれが、本心からの感動の褒め言葉だとしても…) のは、とても失礼だし、じゃあ、「HPに書かせてもらっていいですか?」と相手に了解をとればいいかというと…、そうでもない。

私のHPなんて、なんの広告宣伝効果もないのに、相手には「まあ、ありがとう、是非お願いね!」というよう気遣いのお返事をさせてしまうことになってしまい…、
で、私は私で、予定外に知り合い自慢をしているような感じにもなってしまい、なんだかストレートな物言いができないのだ。
知り合いの場合、〜先生というのも、呼び捨てにするのもしっくりこない。おまけに気をつかいすぎると、「あの人の本のことは紹介した」けれど、「あっ、こっち人の本はまだだった…」、あ〜どうしよう〜ということになる。

HPこそ、鈍感なのが一番!
私が児童文学の作品や、児童文学を通して知り合った方々のことをあまり書いていないのは、うらやまし〜からではなく…(いや、若くて書けて美人で売れてる人、そんな人もいるので、そりゃ、うらやまし〜!ですが)そんなわけだ。

でも、素適な方や作品、この10年で本当にたくさんの出会いがあった。
一昨日は児童文学を通して知り合ったナイスなメンバーで、目黒雅叙園の、百段階段解説見学つきランチをし、きのうは、愛すべき同人『ふろむ』のメンバー面々と、合評会&飲み会でおなかか痛くなるほど笑った。
そんな縁を大切にしつつ、また一般論としてさしさわりのない範囲で、映画見たぞ〜感想やら、作品読んだぞ〜感想やらは、気軽にやっていきたい。

自分ひとりの情報なんて、ほんの少しだけですから…、みなさま、これからも楽しい情報提供をよろしくお願いいたします!


2007年04月14日(土)
鈍感力
今、『鈍感力』という本が売れているそうだ。
(まあ、このところなんにでも『〜力』というのがはやっているようで、自分の方に運をひきよせること『我田引水力』というらしい…)
今日、著者の渡辺淳一氏が、テレビのインタビューで「人間、神経質であるより、鈍感なほうが幸せで健康に生きられる…。」と語っていた。整形外科医だった氏は、夜中の当直で突然起こされても、またいつでもどこでも寝られたそうだし、作家になってからは、氏の作品を読んだことがないクラブのママに「あなたには才能がある!」と励まされたとのこと。で、その鈍感力を身につけるには、褒められたらどんどん図にのって「わたしはキレイ!」だとか「わたしはほんとに才能がある!」と、思えばいいのだそうだ。



2007年04月10日(火)
新生活
一昨日、娘の入学式が無事に済み、(昨日は代休)今日から、彼女の高校生活が始まった。不思議なことに、自分自身はは何一つ変わっていないのに、一緒に新生活が始まったような気がする。

春休みは、映画やDVDを見てにんまりするやら、芝居を見てハイになるやら、美術館に行って、芸術の春にひたるやら…、六本木に行って人ごみとべらぼうなチョコレートの値段にあきれるやら。
充実していたような気がする一方で、この充実感は、もしかすると忙しさに追われただけの錯覚なのかもしれない…という気もする。(でも、フルタイムで働いている人って、もっと忙しいんですよね…)

主婦のおいしい生活になれてしまった身は、久々にもどってきた(平日の午後、コーヒーを飲みながら、とりとめもないことを書いている)一人ぼっちの時間が、至福のときだ。

で、でも…パソコンのまわりをふと見渡せば、捨てられないコピー用紙に、だしっぱなしの絵の具に、折りかけの折り紙に、出しそびれている、書きかけの手紙に、引き出しにしまっていない洗濯物の山…。
至福のときを味わえるのは、ほんの30分だ…。


2007年04月01日(日)
卒業詩『おまけの日』
学校の帰り道
友とあるいた
河川敷
満開の桜並木の下
きょうは
犬を連れた人が
散歩している

学校の帰り道
あいつとあるいた
河川敷
満開の桜並木の下
きょうは
どこかのおじいさんとおばあさんが
散歩している

学校の帰り道
ひとりであるく
河川敷
満開の桜並木の下をぬけ
ぼくは橋の欄干から
あしもとを流れる水の行方を追う

風にふかれた花びらは
一瞬のうちに枝からはるかとおくはなれた
水面へはこばれ
川をくだってゆく

いきつくところはどこ?

3年間
無事にやりすごすには長すぎたけれど
今心浮かぶ思い出のいくつかは
まんざら捨てたものでもない

だれかが言ってたっけ
4月1日はおまけの日だと…
1月1日に新しくしそびれた弱気な心を
卒業の日を越えたあとなら
もういちど新しくぬりかえられる
そんなおまけの日だって

だれかが言ってたっけ
4月1日はおまけの日だと…
あきらめかけた思いをひろいあげて
ふるいたたせることができる…
そんなおまけの日だって

夢に向かって…なんて
大仰なことは言えないけれど
ぼくはこれからも
思い出のいくつかをこさえながら
今を生きてゆく

学校の帰り道
友とあるいた
河川敷
ことしの4月1日は
桜が満開だったことを
ぼくはきっといつか
思い出すだろう


2007年03月10日(土)
卒業
きのう、娘のドレミが、めでたく中学を卒業した。『感動&涙の卒業式』のはずだったが、子供たちの歌ってくれる最近の歌は難しすぎて…、(歌詞は、とても詩的なのだけど、なにしろメロディが、音楽センスのない私には次の旋律が全く予測できない!)全く泣けなかった。あ〜『仰げば尊し』や『想いでのアルバム』が懐かしい!
とはいえ、花粉症の季節、テッシュは足りなくなり、ハンカチも濡れに濡れた一日だった。






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