2007年02月19日(月)
|
夢と現実
|
雨の日曜日、寝坊して東京マラソンを見損ねたので、映画のはしごをした。 『ドリームガールズ』と『それでもぼくはやってない』、どちらも前評判から期待していたのだが、その期待をうらぎらない見ごたえのある作品で…至福の半日をすごした。
ブロードウェイで大ヒットしたミュージカル「ドリームガールズ」の映画版は、女性の黒人三人グループ”ザ・ドリームズ”のサクセスストーリー。(エデイ・マーフィー演じる)人気シンガーのバックコーラスから始まり、(ジェイミイ・フォックス演じる)マネージャーの手腕によって、大人気グループになるまで…そしてその後の確執、挫折、再生が表現されている。女三人の確執と友情にじわり泣かされ、シュープリームス(ダイアナ・ロス)をモデルとしたといわれる彼女たちが、人気の絶頂を勝ち取っていく様子は、60年〜70年代の“熱気”を懐かしく思い起こさせてくれる。 そしてアメリカ社会が抱える黒人白人問題、メジャーにおしつぶされんとするマイナーな人々社会、を鋭くついているのも見所だといわれる。黒人たちが生み出した音楽を白人がパクり、その光景をテレビで見て黒人たちが、やりきれない怒りをかかえるシーン。ドリームガールズが頂点を手にしてメジャー側に立った後、今度は彼らが昔のメンバーがまさに立ち直らんとして歌った曲を横取りしてメジャーに売り出してしまう。 主演のビヨンセ・ノウルズ、そして、テレビ番組『アメリカンアイドル』出身だというジェニファー・ハドソンの歌声も、曲の歌詞もすばらしい!
で…『それでもぼくはやってない』は、もちろん話題の裁判もの。 『ドリームガールズ』が“動”なら、こちらは“静”。 『ドリームガールズ』が“夢”なら、こちらは“現実”。
歌も踊りも華やかさもないけれど、作り手である周防監督の意思がスクリーンを通してつたわってくる。 犯罪は、痴漢であれなんであれ許せないものだが、「もし・・・まちがわれて捕まってしまったら・・・」こんなにも理不尽な警察の取調べに耐え、横暴でいやみな検察官に犯人に仕立てられ、(役所広司演じる荒川弁護士のような弁護士にであってさえ・・・)無罪をのまま起訴され、裁判をたたかわなくちゃならない・・・。 昔は、裁判と言えば、罪が正当に裁かれるべき場所と信じていたが、アメリカドラマ『アリー・マイ・ラブ』をみていらい、弁護士があの手この手で、裁判官や陪審員を化かす場所のようにも思っていた。 それが、この映画では、無罪の罪に陥れられた被告の立場から描かれる。そう、(加瀬亮演じる)ちょっとのほほんとしていて、まだ生きるしたたかさを身に着けていない若者から見れば、警察や検事の扱いはあまりに不当で、信じがたい。裁判官でさえ、「無罪」を出すことは、警察、検事つまり国家権力にたてつくことであり、出世に響く・・・ということをしり、こちらも見ていて愕然となった。 日本の裁判制度も変わりつつある今、見る側に、「やったんじゃないか?」という憶測、思い込みの恐ろしさ(冤罪事件が何故起こってしまのか?)、裁判のあり方を深くかんがえさせられる映画だった。 ラスト、スクリーンの中の被告も、見ている観客も「やってないんだから、有罪になるはずが無い!」と思っているのに 判決は『有罪』。 でも、救いがないのではなく、顔をあげて「控訴します!」と言った主人公の声が、心地よく耳に残った。
|
|
|
|